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以前書いたものの焼き直しというか設定変更というか。
百鬼夜行が初めて観測されたのはそう旧い話ではない。
少なくとも年号で言えば昭和の末期で、場所はやはり東京都内のことである。この地理的要因については未だ理由が明らかになっていない。
初期の頃はごく一部での噂程度でおさまっていたものが、その発生頻度と比例して各方面への影響が出始めた。
人的被害は勿論だが、影響度でいうならば「公的被害」が誰しもの予想を上回る形で発生した。行政への苦情に対する対応である。
当初は警察や消防署への通報が多かったものが、次第に管轄の役所への通報となり、影響が出始めるにつれてその対応への不満も併せて窓口への申し出も格段に増えた。
主な窓口は危機管理担当や、それに類する地域防犯管轄部署だったが、元来は自然災害に対する計画策定や犯罪対策などが主な業務である彼らにとって、対応に苦慮するのは致し方のないことだった。
内外からの要望を受ける形で「百鬼夜行対策室」がまず法務省下に試験的に設置され、その翌年に解体後、各地方自治体の裁量で設置を求める通達がされた。
この「百鬼夜行対策室」の設置に伴い、様々な憶測が飛び交ったが(なぜ防衛省でなく法務省下なのか、各自治体の裁量に任せるといった部分の不透明性など)、現在のところ、都内二十三区及び都下の市・区役所についてはほぼそれに準ずる課あるいは担当が設置されている。
そこから業務委託という形で対応が発注される為、対処の請負中は臨時の職員扱いになる。勿論その裁量はごく限られてはいるものの、公的機関のバックアップが得られるメリットは少なからずある。
ここでいうバックアップとは勿論、権力と同義である。
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